正教分離の原則

            • 「政教分離」といっても〝広義〟と〝狭義〟の相違があります。この相違を理解しておかないと〝広義〟と〝狭義〟を混同してしまい、間違った政教分離の解釈になってしまいます。

              広義の政教分離」とは、「政治と宗教の相互介入を禁止」するものであり、政治と宗教の各々が持つ役割(任務)と特質(性質)とを区分し、互いに介入、干渉しないといった絶対的、普遍的な制度です。「政教分離の原則」という場合の〝原則〟がこの「絶対的普遍的な制度」を意味します。

              対して、「狭義の政教分離」とは、国家と宗教の「かかわり方」について〝限定〟を定めたものです。国によって「国家と宗教」のかかわり方は、それぞれ異なりますのでこちらは相対的な「政教分離」となります。日本国憲法で定められている「信教の自由」は、この「狭義の政教分離」にあたり、「政教分離の原則」が絶対的、普遍的な制度なのに対して、「信教の自由」は相対的手段として用いられる「政教分離」です。

              また、「広義の政教分離」にも分離型融合型同盟型(コンコルダート型)とがあって、国によって「政教分離」の〝制度〟の内容が異なります。

              過去に宗教が政治に利用された痛ましい歴史をもつ我が国にあっては、政治と宗教を厳格に区分する「分離型」が用いられていますが、国家と宗教とくにローマ・カトリック教会の関係を国家間の条約(政教協約)で扱うドイツにあっては、同盟型(コンコルダート型)を用いています。融合型は国教制度を用いているバチカン市国、イスラム諸国などです。

              このように〝制度〟としての「国家と宗教」のあり方には、種類がります。

              ですから、「ドイツにはキリスト教民主同盟といった宗教政党があるから日本にも宗教政党があっても問題ありません」などといった主張をされる方は、制度としての政教分離に種類(分離型、融合型、同盟型)があることをまず理解出来ていないということです。

              このように「政教分離」といいましても、制度(原理、原則)としての「政教分離」と、手段としての「信教の自由」があり、制度としての「政教分離」を「広義の政教分離」とし、手段としての「信教の自由」を「狭義の政教分離」と定義づけすることで、その解釈が難しかった我が国の「政教分離の原則」が正しく理解出来てきます。

              この〝制度〟としての「政教分離」と、手段としての「信教の自由」といった理解で、第90回帝国議会 憲法改正案特別委員会における金森国務大臣の次の答弁(昭和21年9月17日)に目を通すと、

              「今回の憲法を起草致しまする時に当たっては、理念としては、絶対的に宗教と政治というものを分離したいという考を持つて居るのであります。しかしながら同じ人間が一面に於て政治を行い、他面に於て宗教に帰依している訳でありますが故に、其の政治の面に於てはっきりこれを切離すと云ふことは論理的には出来るにしても、実際に於てはそれは不可能であります。そこで此の憲法は出来得る限り徹底して、宗教は国の政治の組織の中には入れないという原則を取りつつ、やむを得ざる限度に於てそれが平行的に国の政治と連つて行くことを容認して取入れて居る訳であります」

              我が国は、「宗教と政治」を完全に分離した「分離型」の政教分離の制度を採用し、個人の信仰の自由を守る為に手段としの「信教の自由」が設定されていることが解ります。

              司法にあっても過去の最高裁の判例(津市地鎮祭事件判決 昭和52年7月13日)文に次のようにあります。

              「憲法は、政教分離規定を設けるにあたり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたもの、と解すべきである。(中略)政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であつて、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。」

              「政教分離の原理」とは、政治と宗教を完全に分離するもので、「信教の自由」はその制度の中で個人の信仰の自由を守る為の〝手段〟として用いられていると明確に説明されています。

              この制度としての「広義の政教分離」(政教分離の原則)と手段としての「狭義の政教分離」(信教の自由)とを混同すると、「政教分離とは、政治の宗教への介入を禁止したもので、宗教の政治への介入は「信教の自由」で守られている」といった誤った憲法解釈になってしまいます。

              正しくは、「国家の宗教への介入」も、「宗教の国家への介入」も、その相互の介入を厳しく禁じているのが「制度としての政教分離」であって、その制度にあっても個人の信仰を守る為に手段として設けられているのが「信教の自由」ということになります。

              日本大学名誉教授で法学博士であられる百地 章教授の『宗教団体の政治活動とその限界』の中で詳しく説明されています。

            • 『宗教団体の政治活動とその限界』
            • 2022/09/25 法介

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