池田会長の三諦論

空諦 仮諦 中道

空諦は事物の性分、
仮諦は事物のあらわれた姿・形
中道は事物の本質

人間生命でいえば、
その人の性分・心は 空諦
姿・形は 仮諦 
生命は中道

「たとえば水
お湯になろうが、氷になろうが 水蒸気になろうが そのものの本質には変わりがない。
H2Оそれ自体は、中道であり、法身といえよう。
水蒸気となり、あるいは氷となり、あるいは冷水となる。
その姿・形は仮諦であり、応身である。
また、水は、表面張力があり、あるいは溶解力があり、そしてまた、零度以下では氷となり百度以上では水蒸気になる等の性質を持つ。
それは空諦であり、報身といえる。

実相をありのままに把握することが正しい認識である。
実相をそのままわが心に受け止め、それに対しどう価値創造していくか、どう対処するか、それが智慧である。

人をどう評価していくかという場合も、まず、その人に対する正しい認識なくして、どうして正しい判断が下しえようか。
その人の表面の姿・行動のみを見、その人の本質を見失えば、判断を誤る。
また、その人の本質はこういうものだときめつけて、時々刻々と移り変わる姿・行動をありのままに把握しないとすれば、やはり正しい認識とはいえない。
その人の、姿・行動も、その人の特質・個性も、その人の本質も、全部、そのまま受け止めることが大事となる。

信心を根本にして、一切を見通していけるのである。」

            • (池田会長全集5 御義口伝講義より引用)

仏道

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