空諦 仮諦 中道
空諦は事物の性分、 仮諦は事物のあらわれた姿・形 中道は事物の本質
人間生命でいえば、 その人の性分・心は 空諦 姿・形は 仮諦 生命は中道
「たとえば水 お湯になろうが、氷になろうが 水蒸気になろうが そのものの本質には変わりがない。 H2Оそれ自体は、中道であり、法身といえよう。 水蒸気となり、あるいは氷となり、あるいは冷水となる。 その姿・形は仮諦であり、応身である。 また、水は、表面張力があり、あるいは溶解力があり、そしてまた、零度以下では氷となり百度以上では水蒸気になる等の性質を持つ。 それは空諦であり、報身といえる。
実相をありのままに把握することが正しい認識である。 実相をそのままわが心に受け止め、それに対しどう価値創造していくか、どう対処するか、それが智慧である。
人をどう評価していくかという場合も、まず、その人に対する正しい認識なくして、どうして正しい判断が下しえようか。 その人の表面の姿・行動のみを見、その人の本質を見失えば、判断を誤る。 また、その人の本質はこういうものだときめつけて、時々刻々と移り変わる姿・行動をありのままに把握しないとすれば、やはり正しい認識とはいえない。 その人の、姿・行動も、その人の特質・個性も、その人の本質も、全部、そのまま受け止めることが大事となる。
信心を根本にして、一切を見通していけるのである。」
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